ザンボア
詩・モード 
Z a m b o a  volume . 5

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Arthur Binard
 



 「納豆を食べることの方が断然多いけれど、
 時々、無性にピーナッツ・バターが食べたくなるんだ」

 第6回中原中也賞受賞。
 米国ミシガン州出身、十年前に来日し日本語で詩を書く。
 僕が興味をひかれたのはその経歴や、
 アメリカ人で日本語の詩作をしているということも
 もちろんあるが、それ以上に、ごく個人的な、
 縁というか、エピソードというか(僕の一方的な、です)
 があって、
 でもまあそれを話しはじめると長くなるし、
 本当に「個人的」な話からはじめなきゃいけないので、
 今回はやめておいたほうが笑われずにすむかもしれない。
 でも僕はそのことで、日本語のもつ余韻の美しさに
 ずっととらわれ続けることになり、
 たぶんそれがこの場所で、
 こうして文章を書くきっかけになっているんだと思う。

 文章というのはそれを書いた人間とおなじ匂い、
 呼吸をしているものだと常々思うけど、
 詩集『釣り上げては』を読んでいると彼の書く言葉の、
 表情もまた彼とおなじ表情をしているものだな、
 そう思う。
 
 アーサー・ビナードから届いたメールには最後に、
 「もう少しで文旦、いや、ザンボアの季節がやってきますね。
 楽しみです」とある。
 「ではでは。 アーサー」
 
 
  
 text●木村ユウ

 


 photograph : : s-ken 
 



photograph : : ni-na
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


香港、一九九五年」
 
 
              アーサー・ビナード
 
 

 九龍のホテルのバーで
 ツアー仲間の日本人とスコッチを飲みながら
 経済大国日本の黄昏
 中国の夜明けなどを
 夜更けまで論じあった。
 もう暮れてしまったアメリカの
 パスポートを持つぼくの主張は
 ただ「黄昏の方がきれいだ」というもの。

 やがて「お先に」と言って ひとり
 エレベーターに乗り 部屋に。
 シャワーを浴びて 「帰るとき
 ちょろまかそうかな」と思いながら
 厚手のバスローブを着込んだ。
 ナイトテーブルにはリモコン。
 テレビをつけて 消して
 マスターというのを押すと
 明かりが全部一遍に消えた。

 隣のオフィスビルの窓ガラスに
 こっち側の 明かりをつけている部屋が
 点々と映っている。
 四、五階上の方で歯を磨きながら
 見下ろしている女性の影が見える。

 ホテルとビルの間の猫の額は
 公園になっている。
 その片隅にはひとりの男。
 二重、三重に段ボールを敷き
 そばで 一匹の犬が彼を見守っている。

 リモコンには冷暖房のボタンもある。
 外は ビクトリア港から
 暖かい潮風が吹き続いているようだ。
 船の汽笛は鳴っているだろうか。
 草むらではコオロギでも鳴いているのか。

 男と犬は背中合わせに
 段ボールの寝床につく。
 歯磨きの女性は消えた。
 リモコンでカーテンを閉め
 ぼくもベッドに入る。

 外で 犬といっしょに寝起きしていれば
 夜明けの方が きれいかも。










 " Hong Kong, 1995" Arthur Binard 
 
詩集『釣り上げては』(思潮社刊)より
 ●
アーサー・ビナードさんの新しい本
 『どんな きぶん?』(福音館書店刊)もでたばかり
  カラフル
 
 
 
 ni-na























せんせいあのね/河合マーク特集
 
 
 
 
 
 

「河合マーク」をご存知だろうか。
 
なにしろどこの詩・ネットコミュニティにも顔を出していない。
商業詩誌に投稿しているわけでもないらしいし、
"Google"で検索しても全く出てこない。
唯一作品が読めるのは、
「ウエブ電藝」
http://indierom.com/dengei/
に投稿というかたちで掲載されている31篇(2001.11.30現在)
のみだ。
塚本敏雄氏によるとつくば市のポエマホリックカフェ
http://homepage.mac.com/poemaholic/
に出没中とあるが、同サイトを見ても名前が見あたらない。
謎の詩人なのだ。

僕にしたってウエブ電藝の吉田さんに連絡を仲介してもらっているし、
だいたいこれだけのものを書いていたら、
どこかに繋がってくるものである。普通は。

とにかく詩を読んでもらえれば、
ちょっとこれは放っておけないなと思った僕の気持ちもわかると思う。
河合マーク特集、なのです。
 
 
   
text●木村ユウ

 












 
 
 
 
 

photograph : : ni-na
 

せんせいあのね
mark kawai

   

せんせいあのね
ほくのとうさんは
しをかくひとです
かあさんにおしえてもらいました
<とうさんのしはね ほら
みちのところにかいてある
しろくてきれいな

とまれ
のことよ>
ほくのとうさんは
みちにしをかくひとです
おおきくてかっこいい
しをかくひとです
まいにちたくさん
しをかきます
みんなはとうさんの
しをよみます
ほくもおおきくなったら
しをかくひとになると
おもいますしろのほかに
あかとかきいろとか
あおいいろのきれいな
しをかくひとになると
おもいます

<とてもりっぱに書けましたね
 せんせいもどうろのとまれは
 よく見ますよ
 ところであなたはまだひらがなの
 にごるだくてんを忘れてしまう
 ようですね
 ほくじゃなくてぼくでしょ
 それからもうひとつせんせい思うけど
 しというのはもしかしたらただの
 じのことでは
 ないかしら
 もし
 先生のまちがいだったら
 ごめんなさいね>















 
 
 
 
 

 photograph : : ni-na
 






 


photograph : : ni-na
 
 
トローチ
mark kawai

   

近所の仁科薬局では
女性のデリケートな部分の痒みにと書かれた
軟膏が売られている
おんなはよ
と仁科さんは言う
みいんなデリケートなとこに
痒みを感じながら
生きているんだぜ
デリケートなとこによ
知ってるか デリケートなとこ
お言葉だが
デリケートな部分なら
ぼくにもあると言うと
仁科さんはかかと笑って
ティッシュに痰を吐いた
お前さんそいつが
痒くてたまらねえってことあるかい
力いっぱい掻きむしって血が滲んで
それでも引っ掻き回さずにいられねえって
ことがさ
ぼくは
ぼくのデリケートな部分は

ふだんは大切にしまってあるので
痒くなるようなことはないがでもときどき
内から熱を帯びてとても敏感になることがある
そうするとぼくも敏感に涙もろくなってしまい
だれかにぼくのデリケートなところを
優しく撫でたりそっと息を吹きかけたりして
もらいたくてそれは堪らなくなってしまうのだ
あの仁科さん
そんなときに塗るという
お薬を置いてはいませんか
仁科さんは
つまらなそうに自分の痰を眺めながら
ねえなあと応えた
それでぼくはいつものように
トローチを一箱買って
家に帰る


















 photograph : : ni-na
 
 
 

 

狼(の悲哀)なのだ
mark kawai

   

そのとき
狼は
少女の
赤い
小さな
かぶりもの
そのままに
小さく
まんまるい
頭を
ろきろきと
かみつぶし
ながら
口のなかの
そのこをいま
おどろかせたばかりの
けだものの
みぎ眼と
ひだり眼から
あつい
なみだを
とぼとぼ
とぼとぼと
ながして
かんがえました

ああそうだっけ
おれはいま
あのこを
食べている
たしかに

さっきまで
ここで
笑っていた
あのこを
食べている
たしかに

おれは
あのこが
大好きなんだよ

ああそうだった
だからおれは
あのこの
やわらかい
頭を
ろきろきと
かみつぶす

ひとつも

ひとつも
まちがっていない

ならば

ならばなぜ
おれの
けだものの
みぎ眼と
ひだり眼は
こうして
とぼとぼ
とぼとぼと
なみだを
止めないのだろう

なぜ
おれはあの
うすわらいの
かりうどが
おれのみけんを
どすんと
ひとうちに
する瞬間を
こんなに
うっとりと
想いえがくの
だろう

なぜ

なぜ
なぜならば
おれは
狼なのだ
から

おれは
狼なのだ


から

おれは
どすん


どすん















 photograph : : ni-na

































































 

秋のリレー
mark kawai

   

箱は
はじめ用務員の
おばさんが見つけ
どういうわけかそれが
ひとりの女生徒の手に渡った
女生徒は
十七歳の涙を
懸命にこらえながら
箱を担任である
数学教師に手渡した
数学教師は中味をいちべつすると
途方に暮れて
マイルドセブンを一本吸った
昼のあいだ
美術準備室の片隅に置かれた箱は
授業を抜け出してきた
美術教師によって
いくどものぞき込まれたが
お昼休み
美術教師が廊下で
教頭に何か耳打ちすると
教頭は軽くうなづいて
校長の耳に入れるには
及ばんでしょうと
つぶやき
立ち去った
やがて
日が暮れ
まん丸な月影のもと
婚期を逃した
<でも本人は
悪くないんだ>
おんな教師が
ひとつの箱をかかえて
家路につく

箱の中では
まだ眼も開かぬ
けむくじゃらの五つのいのちが
寝息をたてている


















 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 photograph : : ni-na
 

「せんせいあのね」 2001.2.19 メールマガジン「週刊電藝」第83号掲載
「トローチ」 2001.6.18 メールマガジン「週刊電藝」第100号掲載
「狼(の悲哀)なのだ」 2001.10.1 メールマガジン「週刊電藝」第114号掲載
「秋のリレー」 2001.7.30 メールマガジン「週刊電藝」第106号掲載
「ウエブ電藝」
http://indierom.com/dengei/

 














 photograph : : ni-na






  
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   2001.12.1