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  1.レトリック(比喩)について
  2.
オブジェも知れ
  3.
笑いについて
  4.
ことばの色について
  5.
言葉の力
  6.
噛み切れない眠り
  7.詩歌とラップ



 
 
 
 
   

 
ヒュームは「スぺキュレーション」のなかで
「すべての実存が見えてしまうなら、詩はいらないだろう。
なぜならすべてのひとが詩人だから」というようなことを書いている。

実存とはいったいなんだろう?
それはこういうことだと思う。
今、目に見えているものは形であって実存ではない。
むしろ目に見えていない部分に ものの本質があって
それこそが実存なのだ。その実存を表面に見せるために、
詩があり、詩人が必要なのだ。

ヒュームは実存を見るためにはレトリック(比喩)が絶対に必要だという。
ではレトリックとはなんだろう。
比喩にはみなさんもご存知のように直喩と暗喩がある。

「ヤリのような雨が降ってきたので、男は黒い傘のなかに埋没した」
という一見詩的な文章があったとしよう。
「ヤリのような雨」が直喩で、強く降る雨をヤリに例えている。

ただここにはひとつの問題がある。
それは「ヤリのような雨」という比喩には何のイメージも無いからである。
みなさんは常用句という言葉を知っていますよね。
「ヤリのような雨」はもう誰でも使う常用句で、
ここからはあたらしいイメージがなにひとつ出てこないのです。
「バケツをひっくりかえしたような雨」もそうです。
 

 
ではどう表現すればいいのか。
これはひとつの例ですが
「平手うちのような雨が・・」というように表現したとすれば、
平手うち=雨 という新鮮なことばの出会いが新しいイメージを作り、
読んだひとに新鮮な感動をあたえるからです。

平手うちのように強くたたかれている様子もイメージを増幅し、
男と雨の情景から誘発された実存が見えてきます。

では暗喩(メタファー)とはいったいなにか。
これをここで簡単に説明するのは不可能に近いが、大まかに概要だけ説明しよう。

上の文章を参考にすれば、
「埋没した」ということばのイメージに覆われている男の姿と雨の情景が暗喩である。

暗喩とは詩全体を支配する核となるイメージや言葉で、
ここでは「埋没した」から連想されたイメージ「埋葬された」「沈み込む」
「浮かび上がれない」「うらぶれた」・・・
などという多くのイメージが雨にたたずむ男に幾重にもかさなり
暗喩としての男の実存が
「うらぶれた男」「背中をまるめて帰宅していく男」「傘のようなちいさな空間から出ることのできない男」「リストラされた男」・・etc

このようなイメージとしてこの短い文のなかに見えてくるのである。

またここでは「黒い傘」でなければならない。ピンクや水玉模様
の傘では「埋没」していく実存とかさなりあわないからだ。
このようにことばを選ぶとき、すべての文に全神経を注がなければならない。
最適のことばの選択こそが詩作の基本であるともいえる。

実存を見るひとつの方法としてレトリックがあり、ヒュームがいうように、
実存が無い文章はもはや詩ではないのだ。
 

 
今回はレトリックだけを大まかに説明しただけなので、
これが詩のすべてと思われても困る。
詩は技法だけで書くものではないのだから。
ただデッサン(基本)ができない人は画家(詩人)にはなれないことは確かです。

次回はさらに詩の核心に入っていく。乞うご期待。


 
 
 
 
 



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