選者  富沢智 http://homepage3.nifty.com/harunamahoroba/
 
 
 

 
 
 
    立木 早
 
 
 
 
八月が終わる
積極的に
鬱病者になってやる
 
夜の雲が南から北へ流れていく
ぱりぱりと食べられた夏の桜の枝葉を切って
虫たちの八月は満腹のまま
大股で歩く大人が
ガリバーのように三十二階建ての
マンションを跨いでいく
あのマンション
非常階段から造られたことを
住民は知っているのか
天上びとをまず地に降ろしてから
人の住処が
雲の上に造られる
降ろされたものたちは
コンクリートの上でカラカラだ
自転車で走り抜ける広い舗道
渦を巻いた風だけが
地を這うこともせずに
大振りなうなりをあげる
上で
雲は
今も
おうおうと流れている
 
九月
絶対に鬱病者に
なってやる

 
 
 
詩集  「五月、あざな」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  東京のマルテ   松元泰介
 
 
 
マルテはさまよっていた
二0世紀初頭パリの貧民街から離れて
百年後の冬の東京を
 
東京では誰も
彼がマルテであることに
気づく者はいなかった
なぜならこのマルテは黄色い手をした日本人で
大きな総合病院で働く
臨時雇いの清掃パートに過ぎなかったから
 
誰も気づく者がいないことは
いいことだろうか
友人もいない東京で誰にも気づかれず
こっそりビデオボックスに入れることを考えれば
 
しかし
午後3時
この窓もない独房に居ることは
何を意味していただろう
テレビは答えることもなく
発作を起こし
吐き続けている
不透明な未来のように
解読不可能なモザイクを
 
マルテに決まっていることは
きっかり一時間後
この部屋から出ていくということだけだ
また冬の真っ只中へ
 
でもこんな男が本当に
あのマルテ・ラウリッツ・ブリッケなんだろうか
こんな無名の男が
 
 *
 
テヘランのマルテはホモセクシャルで監獄にほうり込まれていた
シカゴのマルテは賭け試合のリングでぶちのめされるパンチドランカ
 ーだった
北京のマルテは鏡の前のモヒカン刈りの自分を見てお前は誰だと怯え
 ていた
ブエノスアイレスのマルテは薬の売人でリルケの本に自分の運命が記
 されているのを知らなかった
プラハのマルテは電話でプトレマイオスと宇宙の起源について語り合
 っていた
モスクワのマルテは屋根裏部屋で有り金すべて紙幣の透かしに自分の
 肖像を書き込んでいた
カルカッタのマルテはサイコロを振りながら神の存在証明まであと一
 歩だった
ベルリンのマルテは酔っ払いの天使で便器に頭を突っ込んで死んでい
 た
カブールのマルテは幼い子が五人もいてこれからどうすればいいのだ
 ろう・・・・
 
あらゆる都市をさまよいながらマルテよ
誰もきみがマルテであることに
気づく者はいないのだ
きみが都市のどこか片隅でうずくまり
魂を震わしているということに

 
 
 
詩集  「東京のマルテ」  ミッドナイト・プレス http://www.midnightpress.co.jp/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  迷宮を小脇に   田中勲
 
 
 
目印は、
泉鏡花の生家の跡地
しぐれの朝の電話の通り、金沢の
彼は待っていた、小脇に厚い本を抱えながら
つま先立ちの私に
彼はゆっくりお茶を啜り
鏡花にまつわる通説を否定しはじめる
肩こりがひどかったこと、
ひどい潔癖症だったこと、
生家の裏の神社に続く闇の細道について
テロの隠れ家でも見つけたように語るのだが
最も知りたい確信には至らない
 
鏡花は、
いろんな符丁で語られる
邪険なルビにつまづきながら、私は
血の道の浮き立つ白い手で連れだされたもののひとり
白山の森にまつわる
忌まわしい語り部をたしかめたわけではなかったが、
ただ「むこうまかせ」で、不壊の力で
母子の禁忌をのり越えた真意に関心はあったが、
 
彼は、
鏡花の生母の出身地について、
富山の或る町だという
その外聞は作家違いだ、という私をうち消し
鏡花が生涯追い求めた母の生地に戸惑っている
むろんこの街だよ
室生流の能楽師松本金太郎の妹すずというひとが
犀星の生母であるはずがない
鏡花も犀星も生母の幻を生涯追い求めたという
外聞にはフィクションの迷宮もあろう
時代がどこかで入れ替わっても不可思議ではないが
そのうちわかるさ、と半歩踏み出す
 
鏡花の、
生家跡地の商いは今日も鈴なり、鈴なりに
言葉が生き延びる
その不壊なるものの命運をおもう
人間でも妖怪でもない、
もっとも上位に位置する魔境の光はどこを照らすのだろう
さっき辻の煙草屋からふっと顔をのぞかせた
清々しい老婆のように、
 
天守閣が化粧している坂道をのぼり
この世は命がけの謎だから美しい、と彼が手渡す
多くの迷宮を、小脇に抱えながら
坂道をひきかえす
偶然、さっきの老婆とすれ違う
そんな予感の風に押されて

 
 
 
詩集  「迷宮を小脇に」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  厭世   田村雅之
 
 
 
ニューヨークのあのSkyscreper
虚空を摩するほどの
高楼が聳えていたあたり
空にほっかりと穴があいたようだ、と
その国の人は幾度も頭をかかえた
 
もちろんこんなはずであるわけがない
こんなはずでないと思いながら
国民は黒い喪章をつける替わりに
連帯の旗さしをかかげ
ひぐらし星条旗をかかげ
自分の家族を失ったように
ほうほうの体で歩いている
林檎の芯の腐ちゆくよう
たれた蝋燭の蝋が靴紐にこびりついて
晴れ澄んだ初秋
あの世界貿易センタービルに
玩具戯びのはて
やわらかな
バターにナイフを入れたように
突きささった飛行機の
あざやぐ像はいつまでも緑色の脳裏にゆらぎ
不安はあとに残る
 
無言の宣告
漆黒の色光沢をもった
テロールの奥深くに
何があるのかを
その正体を探さねばならぬ
す裸な無知が恐怖を生み
消そうとする恐怖は憎しみをはぐくみ
おさえようとする憎しみは殺意を顕たせた
そのように考えれば
究極の処理解決に近づくのだろうか
 
問いかけは
海を隔てたわが内胎にも
津波のように寄せてくる
かつて橋の桁下に身を潜ませ
「ツァーを殺せ」と
きさらぎの黎明から
ミネルヴァの梟の鳴く夜更まで
ひめもす自答していたサヴィンコフ・ロープシンのよう
鉛色の導火線を手に
さむざむ蒼ざめた馬に乗って
狩猟者のまなざしで
遠い明日を待ちつづけていた
自分にも問われている
 
白い顔をした海の向こうの人たちは
すべての栄光を忘れて
いまは天使の忍耐で
ただなりに祈りつづけているという
不安を抱えながら将来を見つめつづけているという
しかし、そこにも蛮刀のような
覇権の驕りはないだろうか
戛然と軍靴をひびかせ
硝煙弾雨をふりそそがせうるもの
勝者のいささかの昂りはないだろうか
じつにたけだけしい砲声と
声太鴉の悲鳴ににた喊声が消えた
きな臭い匂いのするだろうあたりの
空気をかぎながら呟く
いやーあな厭世の気分だ
虚無の感だ

 
 
 
詩集  「曙光」  砂子屋書房 http://www2.ocn.ne.jp/~sunagoya/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  エルヴィスが死んだ日の夜   中上哲夫
 
 
 
エルヴィスが死んだ日の夜
ゴールデン街とよばれる前の
新宿・花園町の
バラック小屋のバーの
ぐらぐらする地軸のとまり木の上で
新鮮な酔っぱらいがきたら帰ろうと思いながら
朝まで
エルヴィスのレコードに耳傾けてすごした
エルヴィスのファンだという
ほうまんなママさんと。
エルヴィスの話など少しして
だがぼくらの間には何事も起こらなかった
トリス・ウィスキーのハイボール
の味も値段もとうに忘れてしまったけれども。
ぱくぱく
夏の夜明けのきはくな大気呼吸しながら
烏たちが散歩する引込み線のレールの上を
ぴょんぴょん駅に向かって歩いていった
そして一番電車にゆられて家へ帰り着いたのだけど
エルヴィスの歌声がいつまでも頭のなかでひびいていて
寝つかれなかった
初めてハートブレイク・ホテル聴いた遠い少年の日から
壁にごつごつ頭うちつけながら漂流する中年の棒杭の日までを
ベッドのなかで反芻した
恋も仕事もうまくいかないのは
血管にごちゃごちゃつまっている観念の切れっ端のせいかもしれなかった
レコード・コレクションを焼却する夢
にゆさぶられていると
枕頭の電話器のベルが鳴って
もう若くはないのだからと
くぐもった声がいったのだった
ケルアックが死んだ日のことはどうしても思い出せないくせに

 
 
 
詩集  「エルヴィスが死んだ日の夜」  書肆山田 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  君死にたまふことなかれ
(旅順の包囲軍にある弟宗七を嘆きて)   与謝野晶子
 
 
 
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末に生まれし君ならば
親のなさけは勝りしも、
親は刃をにぎらせて、
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四までを育てしや。
 
堺の街のあきびとの
老舗を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてになかりけり。
 
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね。
互に人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人の誉れとは、
おほみこころの深ければ
もとより如何で思されん。
 
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
嘆きのなかに、いたましく、
我が子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪は増さりぬる。
 
暖簾のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻を
君忘るるや、思へるや、
十月も添はで別れたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき
君死にたまふことなかれ。

 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 

  藍色の蟇   大手拓次
 
 
 
森の宝庫の寝間に
藍色の蟇は黄色い息をはいて
陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。
太陽の隠し子のやうにひよわの少年は
美しい葡萄のやうな眼をもって、
行くよ、行くよ、いさましげに、
空想の猟人はやはらかいカンガルウの編靴に。

 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 

  緑の導火線を通って花を咲かせる力   ディラン・トマス
 
 
 
緑の導火線を通って花を咲かせる力は
ぼくの緑の年月を駆りたて 木々の根を萎れさせる力が
ぼくを破壊する
だが ぼくは唖なので萎れ曲がった薔薇にはいえない
ぼくの青春も同じ冬の熱病にゆがんでいると
 
岩間から水を迸らせる力は
ぼくの赤い血を駆りたて 饒舌な流れを涸らす力が
ぼくの血を蝋に変える
だが ぼくは唖なのでぼくの血管にはいえない
山の泉で同じ口がどんなふうに水をすするかを
 
水溜をかきまわす手は
流砂を起させ 吹く風に縄をかける手が
ぼくの経帷子の帆をたぐって向きを変える
だが ぼくは唖なので絞首刑の男にはいえない
絞首刑使の石灰がどんなふうにぼくの土で作られているかを
 
時の唇は泉の源に吸いついて血をすする
愛から血が滴り集まる がその落ちた血は
愛の痛みを和らげるだろう
だが ぼくは唖なので時候の風にはいえない
時が星々をめぐって この世の天空をどんなふうに刻んできたかを
 
そしてぼくは唖なので恋する男の墓にはいえない
ぼくのシーツを同じよじれた蛆虫がどんなふうに這いまわるかを
     
 
 
                    松浦直巳訳

 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 

  禮   ステファヌ・マラルメ
 
 
 
虚し、この泡沫、処女なる詩、
ただ、盃を示すのみ。
群居る人魚の、眼路はるか、
躍り乱れて 沈み行くごと。
 
船出して、おお もろもろの
友よ、われ はや艫にあり、
君 気も驕り 舳に立ちて、
雷 と真冬なす浪 掻き分けて。
 
酔 艶だちて おのづから
蹣跚と、船のたゆたひ憚らず、
やをらわれ立ち この禮を献げむ、
 
寂寥、暗礁、北極星、
わが船の帆の素白なる
悩みを 興へし 悉皆ものに。
 
 
 
                    鈴木信太郎訳

 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 

  28 笑顔   神尾和寿
 
 
 
モー主席が揚子江に浮かぶと 河に沿って
ひとりでに行列ができあがった
青海省の水源から東シナ海の河口までヒコウキ雲のような行列ができた
右から左へと 真ん丸い笑顔がつながった
口髭をはやした共産党幹部がこほんとせきをする
青い目の外国人記者クラブの精鋭たちがカメラを構える
女たちは尿意を堪えて足踏みをする そんなさまざまな
個人的事情を凌いで決して崩れることのない 笑みの放射
を 全身に浴びて
モーの得意な泳法は
バタフライ

 
 
 
詩集  「七福神通り 歴史上の人物」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  畳   山田隆昭
 
 
 
座敷郎
という名の彼は畳から生まれた
取り上げ婆の手も借りずに
西日が強く差し込む
ばかに静かな時刻に
畳のへりの近く
夜伽の汚れと思われるシミのなかから
ゆらゆらとこの世の者となった
 
子どものない一対のおとことおんなは
喜びのあまり彼を鎖で繋ぎとめた
前世からの解放は彼にとって
新たな束縛の始まりだった
部屋の周囲は柵によって区切られ
陽の光と闇だけが交互にやってきた
食べることと眠ること
このふたつが彼に与えられた日課だった
 
昔むかしあるところに住んでいた
一対の年老いたおとことおんなは
なにをなりわいとしていたのだろう
彼も生涯なにもなさずに
年老いてゆくのだろうか
せめて 山の柴刈りに行きたい
そこから始まる物語は
いのちの終わりに近すぎて哀しい
だが彼は終生ひとりであるにちがいない
哀しみさえ知らないままの彼の名は
どの昔話にも出てこない

 
 
 
詩集  「座敷牢」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  浅葱色の鉱脈   中澤睦士
 
 
 
ああ どうやら夏だ
すっかりと静かになった
木々も青葉をたたえきって
落ち着いた蓄えの時季にはいっている
熱くなったアスファルトの上を
逃げ水が 逃げてゆく
確かにそこにあるはずなのに
近づけば逃げてゆくものがここから見える
 
なにか 確かなものが欲しい
そのきっかけだけでも
掴んでから長いため息に入りたい
 
ねえ学校裏の駄菓子屋で
昨日からラムネ売り出したって
それから来週プールの掃除だって
 
教室の中で
いくつもの伝説が始まる
(今日の理科はアジサイの葉の
 澱粉生成を確認する実験だって)
 
誰もが それぞれに見つけ出せばいい
そして誰かに聞いてはいけない
 
理由より先に歌が咲き出す
言い訳より先に鉱脈がみつかる
 
そいつらときたら ラムネの瓶のように
遠い遠い浅葱色をしているらしいって

 
 
 
詩集  「泡陽」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
作者サイト  http://homepage2.nifty.com/n-mutsushi/nakazawa_001.htm 
 
 


 
 
 
 
 




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