選者  寺西幹仁 http://www3.ocn.ne.jp/~simarket/
 
 
 

 
 
 
水槽
    うみほたる
 
 
 
 
夜が明るすぎるという理由で
街灯が取り払われた 僕の街は
ときどき、海の底になる
 
条件は、新月と曇り空。
 
そして今夜は その日だ。
僕はサイダアの瓶を持って 真夜中に家を出る
目のない魚のような人々とすれ違いながら
創世記以前の街を歩く
目指すのは 厚い雲の遠くのほう
網のように ぼんわり青白く揺らめいている
(それは水面の光を思わせる)
空の下
 
たどりついたのは まっくらなショーウィンドウ、
発光源は 無数のテレビに映るくらげだった。
 
ブラウン管のひとつひとつに 一匹のくらげがいて
絶えず 水流が作られているらしい、
その力で くらげは泳ぎつづけている。
機械音も波音もきこえないので
(ガラスで遮断されているせいかもしれない)
ブラウン管の向こうが 海なのか
ただの水槽なのか わからない。
 
隅の いちばん小さなテレビのなかにいる
くらげの光はずいぶん弱く、今にも消えそうだった
僕は少し迷って ポケットからペンライトを取りだし
まっすぐに そのくらげを照らしてみた
 
すると くらげは光に飛びつき、
端から ちゅうちゅう飲みはじめた
くらげの体内の 管という管に光がゆきわたってゆく、
(僕は震える手で光を固定させるのに苦労した)
ひとしきり飲みこむと くらげは強く光りはじめた
 
その光に 他のくらげがざわついたので
僕はペンライトで順番に照らすはめになった
くらげが細い光を飲みこんでゆく というより
僕が彼らに光を注入している
全てのくらげが発光すると
僕の身体はクリスマスのように照りかえし
雲に映った光の網は ひときわくっきり浮かびあがった
 
その時 くらげが一斉に触手を伸ばした
ブラウン管がはちきれそうになり 僕は後ずさる
そして空に 巨大なひとつの目が現れているのに気づいた
 
おばけいかだ!
 
光の網にかかったおばけいかは もがいて墨を吐きちらす
くらげの光は一瞬にしてまっくろに塗られ
(同時に網も破られた)
おばけいかは 再び闇に消えた
 
光のひとつも失くなった海の底に ひとり残された
僕は ショーウィンドウに寄りかかる、
いざとなれば ガラスを割れば脱出できる。
 
僕はサイダアの瓶を開け
少しずつ口に含み、泡のなかの空気を吸う。
舌のうえで空気を転がしながら
手の甲でガラスを叩く、
とん・とん・とん・つー・つー・つー・とん・とん・とん。
 
これを飲みおえたら
君に手紙を書こう、そして
瓶に入れて ここに沈めてゆこう。

 
 
 
 
作者HP  http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3120/ 
 
 


 
 
 
 
 

  井上照子もしくは「千恵子」   菱木紅
 
 
 
叔母井上照子は肘の内側に濃い茶色のアザを持っていた。
「これはチョコレートなんやで」傍らで彼女のオトコも
薄ら笑いを浮かべていた。暗いアパートの一室だった。
曇った日だったかもしれない。それはチューブ入りチョ
コレートを絵の具のように押し出した形をしていた。わ
たしはいくつになっていたのだろう。舐めるとほんとう
に甘い味がするような気がした。
 
学校から帰ると、円い卓袱台の上に大きな銀色の蜘蛛が
いた。塗りの剥げかかった「お膳」の真ん中に一匹だけ
乗っている。「ほら、銀色やで。こわいやろ」叔母が笑い
をかみ殺しているのがわかった。怖がってみせると、両
切りピースの箱のアルミ箔で作られた銀色の蜘蛛が、少
しだけ動いた。
 
叔母井上照子は幾つもの呼び名を持っていた。「千恵子」
というのもひとつの源氏名である。ほかのは忘れたがそ
れが一番多かった。水商売一筋だった。若いとき、未婚
で男の子を生んで、一歳で亡くした。腸チフスだった。
 
千恵子は大工の棟梁の妾だった。棟梁は私の家にもよく
出入りしていたし、棟梁の家にも私たちは行った。千恵
子も棟梁の妻や子どもとも仲良くしていた。
 
その前は、ハイヤーの運転手と付き合っていた。ハイヤ
ーはタクシーより高級な車らしかった。運転手の娘も家
に来たり、遊園地にも一緒に行った。父親のほうは男前
だったが、娘は不器量だった。後に、兄と高校で同級生
となった。「じっきに分かったわ」兄は得意気だった。
千恵子が私たちの家で居候していたとき、彼との密会に
同行させられるのは、わたしだった。後年、姉によれば、
心中事件を起こしたので、母が「見張り」代わりにと連
れていかせたらしい。喫茶店でガラスケースのドーナツ
を食べるのが嬉しかった。
 
棟梁と別れた千恵子は、そのあとも何人かオトコを変え
最後にちぢれ毛で乱杭歯の男と入籍した。「タチが良お
ない」と母は嘆き、それ以上に激怒した。二人で暮らし
ていた家で死んだ。ホームこたつに入っていた。変死だ
とされ検死となった。たぶん、五十五歳くらいだったか
もしれない。葬式にも行かなかった。母が私たちが男と
かかわるのを恐れたからだ。
 
井上照子、さもなくばただの「千恵子」。
ニューブリテン島で戦死した伯父を除けば、母と同じ両
親を持つたった一人のきょうだいであった。
生後すぐ母親を亡くしたひと。
酔って帰って、便壷に落ちたとき「おかあちゃん!」と
叫んだひと。
石切さんの参道で「牛乳か甘酒か」と問うたひと。
そして、わたしの結婚式にさのさを歌ったひと。
あなたが持っていた、大きなピンクのキューピー人形と
姫鏡台が欲しかった。

 
 
 
詩集  「ジャムのふた」  ドードー局 
ブックスでも取り扱っております。 
 
 


 
 
 
 
 

  「世界の構造」   粕谷栄市
 
 
 
 私は、「世界の構造」と言う書物を愛読している。も
うずっと以前、田舎町の古物屋で、柄のとれた火桶と一
緒に買わされたものだ。
 ぼろぼろの表紙の分厚い本で、作者も、出版された所
も判らない。唯その活字の形から、大体百年位昔のもの
と推定できるだけだ。
 おかしな本で、内容は、題名と全く関係がない。落丁
があって判り難いが、書かれているのは、多分、豚の育
て方であろう。
 飼料である落花生の良否から、豚小屋の設計まで、く
わしく易しく述べられている。
 それらは、しかし行なわれなかった事柄ばかりである。
例えば、豚の入浴に就いてだが、華氏百五十度に沸かし
た塩水に、飼い主がその豚の鼻孔を手巾で押え、正午か
ら日の入りまで、共に入っていなければならぬ、と書い
ている。
 それが必要だと考える者はあるまい。
 そんな調子で、全ての豚の生活への提言が、次から次
へとつづいているのだ。
 そうして、そのどの頁をも、おそろしく下手な一枚の
さし絵が飾っている。実は、私が、この書物を愛するの
は、その故でもあるが、要するに、みんな同じもので、
日の当る一本の円い樹を背景に、一人の男が、よく太っ
た豚を抱いて、笑っているものである。
 男の笑顔は、殆ど豚の顔だが、よく見ると、その足元
に、同じように一人の子供が、小さな子豚を抱いて笑っ
ているのだ。
 それを眺めていると、何故か、私はひどく幸福な気分
になる。柄の取れた火桶のように、一切を許して悔いな
くなるのだ。
「世界の構造」について作者が知っていたことを、私
もおそらく知りそめている。
 この書物を、私に売った古物屋の女房も、その時、
そう言って、私の貧しい財布を取りあげたのである。

 
 
 
詩集  「世界の構造」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  通りの二階にある喫茶店から   ミキ
 
 
 
俺の後ろに若いビジネスマンが二人座った
よく喋る男たちだった
狐目の男のほうがオーバーアクションで笑うたびに
俺の椅子を押した
少なくとも俺は押された、と感じていた
俺はとても気になった、気にした
俺は彼等の会話に耳をすました
俺は集中していた
俺は煙草の煙を吸ったり吐いたりしながら
彼等の会話を聞き続けた
くだらないものだった
たわいのないものだった
やがていつか彼等は店を出た
外下に見下ろす表通りでは
すべての傘がくるくると廻っていた
俺は煙草に火をつけた。
 
 
 
世界は色々なものが丁度よかった
一番せわしない者たちにも僅かな休息は与えられた
俺は通りを眺めた
沢山の車が走っていた
信号が青になると、まるで左右から巨大なストローで吸われているように
車たちはきれいに並んで走った
真っ直ぐ走った
ヘマをする者はほとんど無かった
万が一間違いを犯した人間にも
許しは与えられた。
 
 
皆、自分を騙くらかす天才であった
彼等は大抵他人を騙くらかすことに対して
抵抗が無かった
皆、己に振舞うように他人にも振舞った
それでだいたいは上手くいっていた
たいていの日曜日は平穏であった
ごくたまに通り魔が出るくらいであった。
 
 
 
 
俺は常に父を越えようとしていた
父は個人的に気狂いの為に早くに死んでいた
俺は月明かりの下、ちんぽをおっ立てたまま荒野を走り続けるようなものだった
それは1頭立てのレースだった
俺は満足することが無かった
俺もストローで吸われていた。
 
 
 
 
マヌケが並んでいる
これはとてもアホなことだ
イカしている 度を越えている
よくあることだった 俺は気付いていた
ここいらはマヌケばかりだった
演技をしたり我慢強く辛抱したり
時に深刻ぶって話した
これはマヌケの仕業だった
たいていは馬鹿げていた
いわば蝶ネクタイをしめて、気取る猿だ
辺りは所構わずマヌケであった
誰もが無口になったあとに喋りだす程イカれていた。

 
 
 
 
作者HP  http://homepage3.nifty.com/miki1973/ 
 
 


 
 
 
 
 

  眼前の現実と幻想とを区別することなど   松尾二郎
 
 
 
三ヶ月くらい前から、私には幻想の小さな娘がいる。
その娘の存在が日に日に増していくので、精神科を訪
ねた。
 
――三十を過ぎた独身の男性には誰にでもあることな
んですよ。
医者は笑ったが、二週間後また来るように言われた。
 
     ◇
 
娘さんのことを何でも自由に話して下さい、という
から私は真面目に話した。
 
――名前は、みんみんといいます。中華料理屋の店名
にある、あの字です。母親が中国人なんです。逃げら
れました。母親の具体的な人物像は浮かびません。娘
は、一歳くらいだったり、五歳くらいだったり、想像
するときによってまちまちです。しゃべれないくらい
のときもあれば、幼稚園に行くときもあります。幼稚
園でいじめられたりすることがあります。友達ができ
たと言って、喜ぶときもあります。同じシチュエーシ
ョンを何度も繰り返し想像してしまいます。
 
私は一生懸命に話す自分をどこかで恥ずかしいと思い
ながら、開き直るような感覚にもなっていた。
 
――娘が鉛筆を持って、ひらがなを練習しているんで
す。おばあちゃんから買ってもらったキティちゃんの
鉛筆です。テーブルの上で何度も何度も同じ字をこす
りつけるように書いているんです。練習帳の枠をはみ
出して、余白にもいっぱいに書いているんです。それ
を見ながら、私は思ったんです。ああ、こんなふうに
同じことを何度も繰り返して何かを獲得するというこ
とを私はずいぶん昔にやめてしまったな、と。
 
     ◇
 
 帰りに初めて薬を渡された。薬の説明もきちんと憶
えている。病院帰りに寄るようになった駅前のコーヒ
ーショップに入り、二階の窓際のカウンター席につい
た。いつものように右側の席を空け、いつものように
通りを歩く人々を眺めていた。薬と診察券はさっきゴ
ミ箱に捨てた。
 
――パパ―
――ほら、ちゃんと行儀よく飲みなさい。

 
 
 
初出  「詩学2003年3月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  私はあの少年のことをくり返し書こうと思う―   徳弘康代
 
 
 
私はあの少年のことをくり返し書こうと思う。総合病院
のうら口にすてられていた少年のことを。彼がくさった
両足をすててまだ生きているのかどうか、無表情で見て
いた観衆の私にはわからない。見ているだけで情況がか
えられるわけでもないのを知っている無表情を、都合よ
く私も使いながら、通りすぎる前にも後にも私のしあわ
せに変化はないのだ、と思っていた。
私はこうして何度も人の苦痛の前を通りすぎた。旅行者
として、生活者として、同情者として、金持ちとして。
ある男は中毒の最終段階をむかえ、暴れまわっていた体
を弛緩させはじめていた。ちょうどこの土地のように。
老人はたどりついた病院の前で拒まれたまま凍死した。
次から次へと無数に捨てられる嬰児の上に、私は横にな
って二年間眠っていた。
夜が来て当直の医者とインターンは少年を土の上から廊
下に移した。今夜死なれるのをさけるために。そのさけ
方は私の責任のがれの方法と同じだった。いつものごと
く私は少年をたすけなかったし、方法もなかった、と、
このように逃れては旅人になるのだった。
次々に患者の運ばれてくる病院の廊下に、横を唾を吐い
て歩いていく人の足元に、彼はぼろ布ごと消毒液をかけ
られて、くさった足からうつくしい骨を少しみせていた。
彼を病院まで運んできた者はもういなかった。その去り
方は私の去り方と同じだった。少年はその者たちの名を
言わず、ただ無表情に苦痛を超えていた。
少年はその日多少の話題になったろう。空中を忘れられ
るために飛びかう消息のように。
私は彼のことをくり返し書こうと思う。私がいつか無表
情の環視のなかで無表情に死んでいくまで、書くことに
よってでは何もかわらないことを認めながらくり返しあ
の少年のことを書こうと思う。

 
 
 
詩集  「横浜⇔上海 1988-1991」  夢人館 http://homepage2.nifty.com/mujinkan/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  緑色の川   杉本真維子
 
 
 
とろとろと
ねがえりのような
波紋をかさね
緑色の川を
あるく
 
途中で
 
あなたの顔が
あおむけに沈んでいった
しろく 色のない
顔で
 
死んでゆくひとを
ゆする手も間に合わず
頬はあからみ
もう
始まっていた
 
ねえ、わたしたちみな
浅く浸した半身のゆるさ
藻にまかれ、どこまでも繋がれ、
緑色した
一本の川
 
 
    (1月6日に亡くなった友人・Kに)

 
 
 
初出  「BCG 1号」
 
 
 


 
 
 
 
 

  ボブ・ディランの干物 (1997.9.23)   清水鱗造
 
 
 
ハワイ・ツアーの給食には
ボブ・ディランの干物がでる
ポリ袋に入った切れ目を
すーっと開けると
平たいボブ・ディランが出てくる
鱈の干物に似ているが
金属製の味がして
まずい
 
長火鉢で炙って食べる
古い灰は火鉢の底のほうでは
白く石化している
ハワイの旅館にも各部屋に長火鉢がある
カニバリズムじゃないか
おい
 
古布団は粗大ゴミとして
玄関の前に山盛りになり
苗字が書いてある
「彼らが呼ぶ前に」
答えは布団が濡れていくなか
に書いてある

 
 
 
詩集  「ボブ・ディランの干物」  開扇堂 http://www.shimirin.net/kaisendo/index2.html 
作者HP  http://www.kt.rim.or.jp/~shimirin/ 
 
 


 
 
 
 
 

  鉄塔に捧げるオード   野村喜和夫
 
 
 

 
鉄塔を見ながら
私は育った
大人になっても鉄塔を見つづけていたら
そのあいだに世紀が
あたらしくなってしまったらしい
かわりばえのしない鉄塔よ
おまえの背後はいつも曇天
だったような気がする
おまえの孤独な皮膚そのもののように
 
 

 
鉄塔を見上げていると
言葉を失ってしまう
なぜだろうと思いながら
さらに言葉を失ってしまう
ちょうどテレビの空きチャンネルを見ていると
猥褻な気分になってしまう
それと同じように
 
 

 
言葉を失うと
かすかに
脳に虫がざわつく
その虫を詩と呼んでもいいかしら
かわりばえのしない鉄塔よ
 
 

 
鉄塔の下はオフリミット
だから迂路が生かされる
迂路に沿って
私の無言が草の葉ずれのようだ
 
 

 
私は内陸に育ったので
海には親しまなかった
彼方や無限への思いを養ってくれたのは
笑うなかれ
鉄塔だ
野に鉄塔が立ち
高圧線を支えている
高圧線をたどるとまた鉄塔だ
野の果ての
そのまたずっと向こうまで
鉄塔はつづいている
それをひとつひとつたどっていったら
どういうことになるのだろう
と考え
少年たちは出発する
「鉄塔武蔵野線」という映画での話だ
だが地と空の境が大きく口をあけて
鉄塔もろとも
少年たちを呑み込んでゆく
これは私の勝手な空想
 
 

 
私の場合
さらに不思議だったのは
鉄塔から鉄塔へと
空の喉が奥まるにつれ
私自身の遠い内部になってゆくような
気がしたことだ
無限とは
外部が内部になるということだ
 
 

 
ある天文学者グループの計算によれば
全宇宙の光の三分の一は
出所不明だという
あたらしい世紀の
はじまりの草のうえで
だから私が突然光を発し始めるとしても
不思議ではあるまい
もちろんそのとき鉄塔も
一段と高くそびえ立つのだ

 
 
 
詩集  「ニューインスピレーション」  書肆山田 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/ 
作者HP  hhttp://www.kiwao.com/ 
 
 


 
 
 
 
 



 
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