選者  寺西幹仁 http://www3.ocn.ne.jp/~simarket/
 
 
 

 
 
 
翼が揺れている
    丹田亮子
 
 
 
 
 私の手の下であなたの肩が揺れている。
 深夜の電話でひどい諍いをして、ふらふらになって眠って、あなたとはもうだめかも知れないと思いながら目覚めて、それからここへ来た。約束どおりだ。どうしようもないこと(そうだろうか、本当に?)のくり返し。もうこれ以上疲れたくないから別の話をした。詩や友人のことなど。それから肩を揉みはじめた。首から肩、肩胛骨のあたりまで凝っているはずだから。
 肩胛骨の脇が凝る、と、はじめて聞いたときは、変なところが凝るのだな、と思ったが、慣れた。このごろは、私もよく似た場所が凝る。なにも話さない。今はいたわりあうしかない。好きだからだ。あなたと私のために詩を書いた。いくつも書いた。いつもあなたと私との間には私の詩がある、と、まだ、信じている。
 詩の中で、私たちはいろんな場所に行った。秋の公園や海の見える山や迷路のようなホテル、川を見下ろす部屋、洞穴。ほかにももっと。記憶。思い出。私とあなたとの出来事は、私の詩の中に収められている。公園の花壇も洞穴の水滴も、すぐに思い出せる。そして私たちにつながっている。記憶を詩にすることで、詩は新しい思い出になって私たちを近づけるだろう、と願って書いてきた。それは間違ってない。
 頼りなく揺れている。今、私もよく似た場所が痛い。右肩胛骨の下寄りのところ。あなたは何を見ているのだろう。筋を探し当てて人さし指でおさえる。ここ? ここを辿ってゆくのだろうか。これを、どんなふうに書いたらよいのだろう。
 翼、と書くのだろうか。この肩胛骨が翼だ、と。今は傷んで揺れているだけの翼? そうしたらなにか私たちにとってよいことが起こるのだろうか。肩胛骨は人間の背にある骨だから、翼は生えてこない。私が、そうだと書かないかぎり。

 
 
 
初出  「詩学2002.11月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  道端に立ち続けている(なにか待っているような姿に見えるがそうではなく)
                 
  駿河昌樹
 
 
 
結論はないのではなく どのような
結論でもいいのだということ、 あれでもいいし
これでもいいのだということ
 
この頃 道端で死んでいる犬を見ない どうしたことか
ここから(コノヨウナ述懐カラ)過去の称揚に安易に《陥ル》ノヲ避ケルコト
 
《陥ル》ノヲ避ケルコト
 
ソレニ 表白シタイノハソレデハナイ。端的ニ主題ヘ
 
道端… といえば思い出す道がいっぱいある(いい、回顧は。《許す》、ヨ)
道端は主題か いや、
さらに行く。
 
思い出す道のいくつかが太陽と接して熟した赤い実の
溶け出したように色光に濡れていた。表白したいのは
粗い情景描写か いや、
さらに行く。
 
死んでいる犬に夕方の陽光が流れていたのを見たように思う。間違い
かもしれないが、見たように思っていたほうが
ココロの彩リ 
       老い、か
これは。
彩リ、なんて 求めるようになると
 
茶を啜っていた遠い谷がある
今も六角金兵衛の太鼓が響く小川の多い村
突然蘇る風景をどうしたらいいかわからない 胸に抱えていれば
いいのか 胸の手もわからないのに 胸に
抱えている 抱えているだけで
わからない(胸の)手で
ほんと(う)に、まだ胸の手がわからない(んだ)
 
                        いや、
さらに行く。
 
もう、風景の自分だ
山が青く私の過去を浸している せつない
せつない こういうの、いけない
いつも遠い列車に乗っている 青畑 麦畑 すぐにも雪で
列車の床の足は白く埋もれている
そんな救いは当面いけないいけません どどどっ
どどどどどっ 雪崩れごころ 捨てたわけでもないのに
捨てたようになっている心が浸している山の青に似ている
違うかもしれないそうかもしれない
違うかもしれないそうかもしれない 見ろ、信号所
 
いや、
さらに行く。
 
人生について語らない人生がありうる珊瑚の海林
うらうらと流されていくばかりの私
死体と私の違いがある海面に星々ぱあああああと散って
頬の上にも首筋にも星の光うらうら
ああ、私って うらうら
波、来る波来ない波、…不確か
うらうらと流されていくばかりの私
 
不確か…
道端で死んでいる犬よどうしていない?
そこに居たという気持ち それは強い気持ち
気持ちは緑濃い草 手も緑に染め
アラユル過去ノ私は道端にまた出る
道端に立って
立っているまま
そこに居たという単なる気持ちではない
現に
 
道端に立ち続けている(なにか待っているような姿に見えるが
そうではなく)
立っているまま(だ)

 
 
 
初出  「詩学2002.12月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

 

キリンの洗濯   高階杞一
 
 
 

二日に一度
この部屋で キリンの洗濯をする
キリンは首が長いので
隠しても
ついつい窓からはみでてしまう

折りたためたらいいんだけれど
傘や
月日のように
そうすれば

大家さん
に責められることもない
生き物は飼わないようにって言ったでしょ って
言われ その度に
同じ言い訳ばかりしなくたってすむ
飼ってるんじゃなくて、つまり
やってくるんです
  いつも 信じてはくれないけれど

ほんとに やってくるんだ
夜に
どこからか
洗ってくれろ洗ってくれろ

眠りかけたぼくに
言う

だから
二日に一度はキリンを干して
家を出る
天気のいい日は
遠く離れた職場からでもそのキリンが見える
窓から
洗いたての首を突き出して
じっと
遠い所を見ているキリンが見える


 
 
 
詩集  「キリンの洗濯」  あざみ書房 http://www2.ocn.ne.jp/~kesi/ 
ブックスでも取り扱っております。 
 
 


 
 
 
 
 

  ヒエロニムス   小林弘明
 
 
 
破壊された庭園を巡り歩いて 虚ろな球体が欲望(ダフネ)の
 
部分となって私の器官を開いているのを目撃した 散在する機
 
械の地層を辿り 背後の暗い岩塊に時間を測定しながら 目撃
 
した 軋む翼ある記号は管となっている 内在する光の線分が
 
引かれ 金属と大気の間で分裂を繰り返す気泡 複素環に被覆
 
された感光体の白さ 泡立つ分子が貝殻状の管を通過した く
 
ちばしを持つ動物が歩き回っている 開いた眼球 線分の波立
 
ち 機械の連鎖となる狂人たち 光が回り込む球体にヒエロニ
 
ムスの相貌が転写されていた 
 
 
 
 
ヒエロニムスの内在する光 突起が暗い喪の中から覗いている。
 
寄る辺なき淵を彷徨する薄い血の人よ 骨の妄想に指を叩き 
 
残留した文字を混合して複数の名が配置された 狂人の機械が
 
誘発され 瞬く間に縄のように切れる 負のメカニズムで作動
 
続けているスクリューに絡まりはじめている茎/下降する大気
 
圧 トゲに満ちたその束から零れている ゆるやかな声が暗い
 
喪の器官を通る 硬化した人の薄い血 窪みへの帰還が予言さ
 
れてから ヒエロニムスの断片化は進行したのだ
 
 
 
 
複数の名がドット交じりの箱舟の部分を生成している 縄の連
 
鎖が波間に溶けている 放逐された狂人が砂粒に侵入されてい
 
る 閉ざされた目の彷徨は私の頭部である せりあがった私の
 
器官は皮膚 混合されて冷えてゆく音が聞こえる 除去される
 
ことのない基底材が凝集してゆく 極性の液体に浸されても文
 
字をあらわさない 暗い喪 ヒエロニムスの簒奪は私から器官
 
への途上である 天使たちの波動 出来事の日付を横断してい
 
った妄想の身体は 折れ曲がった茎と葉に被覆される 積み上
 
げられた記号は、狂人たちの淵で倒壊するだろう 暗い喪でス
 
トックされた身体は 深い亀裂を走らせ別の基底材を用意する

 
 
 
 
 

 
 


 
 
 
 
 

  生家へ   柴田千晶
 
 
 
     花石榴あかあかと船入り来る
 
広告の裏に
母が描く生家の間取り図には
生きているものたちの部屋は一つもない
質屋だった祖母の部屋には
鼠に齧られてぼろぼろになった小野小町の掛け軸がある
床屋だった父の部屋には
「佐々木理容店」と朱文字で書かれた鏡がある
病死した兄の部屋には椎茸栽培に使った椎の木が横たわり
感電死した弟の部屋には洋裁の人体モデルと日に灼けた生地が
縁の下には空っぽの鳥籠が三つある
死者たちがひっそりと暮らす生家へ
母は帰りたがっている
 
ある日、母の間取り図に、部屋が一つ増えていた。
──この部屋はだれの部屋?
──美代子さん。
──美代子さんって?
──同級生。
翌日、部屋は更に増えていた。斜向かいのおばあさんの部屋と、母が見合いを
して断った警察官の部屋だという。その翌日には、小学生だった母をモデルに
絵を描いた沼田先生の部屋と、隣町の鋳掛け職人の部屋が。門付けの女の部屋、
ニシキノバッパの部屋、豆腐屋の未亡人の部屋……母の知り合いの死者たちが
暮らす家に、私の父の部屋だけが無い。
──ねえ、父さんの部屋はないの?
──ああ、忘れていた。
と、母は、四十二年ともに暮らした男の部屋をまた一つ描き足した。
 
母が描く間取り図には廊下がない。部屋と部屋はすべて襖で仕切られている。
夢の中で私は何度も母の生家を訪ねた。夢の中の私は六歳で、いつも母に手を
強く握られていた。
玄関脇の部屋では、美代子さんと警官が裸で抱き合っていた。襖を開けると次
の部屋では、門付けの女と鋳掛け職人が性交の最中だった。
部屋を仕切る襖を、母は乱暴に開き、私を引きずるように次々と部屋を通り抜
け、私の父の部屋を目指した。通過するどの部屋でも母の知り合いたちはあっ
けらかんと裸で抱き合い、歓びの声を上げていた。母が尊敬していた沼田先生
までもが豆腐屋の未亡人を抱いている。
──売春宿になってしまった。
母は絶望的にそう呟き、息を呑んで父の部屋の襖を開けた。
この先の光景は、たびたび変わる。売れない演歌歌手を父が抱いていることも
あれば、父の相手が美代子さんになったり、門付けの女になったり、怖ろしい
ことに私になっていることもある。けれども最も怖ろしいのは、分娩中の母の
姿をそこに見るときだ。母は、全身汗にまみれ息んでいる。陣痛に耐える母の
隣で、父はなぜか無心に鰹節を削っている。母さん、と声をかけると、母は私
を真っ直ぐ見つめ、
──おまえがちっとも子供を生まないから、私が代わりに生むしかないだろ。
そう言って、深く息を吸い、また、思いきり息んでみせた。
 
母の脳内で増築を繰り返す生家は
増築を重ねるうちに
玄関が家の中心に移動してしまい
母はもう 生家から外の世界へ抜け出すことができない
家のいちばん深い処から
(おとうさぁーん)
と呼ぶ母の声が聞こえてくる
 
母の手を握って海沿いの道を歩いた
風が強くて 髪が重たい
産婦人科と精神科のある
岬の上に建つ国立病院の窓硝子が夕日を反射している
(歯医者に行こう)
そう言い聞かせて家を出てきた
(どこの歯医者?)
(どこだっていいでしょ)
(足が痛い。もう帰ろう)
 
手を振りほどけば母はたちまち墓標になる
 
生家へ
帰るための船が 今、
あかあかと近づいてくる

 
 
 
初出  「詩学2002.6月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  永遠狂い   福島 敦子
 
 
 
      1
 
 
いつかいなくなれるという希望に胸をときめかせて
あなたは死んだふりをしている
今日は紅茶を飲んでいるの? それとも黒茶かしら
死んだまま生き続けることなど許されないわ
何もしないでどうしてそんなに嘆いてばかりいるの
叫んだりすることは黙っているよりはましか、同じじゃないよね
「同じ」
なんて簡単に言っていた時もあったけれど……
なげやりな瞳の奥に輝いている命の抜けてしまったよな青 
そんなあなたの永遠がスキ
永遠が好き
お空をいつまでも泳いでいたいものだわヒメイをあげながら
 
わたし達、元気だからねぇ
 
 
      2
 
 
なんにもいらないなんてウソをついて
つき続けてなんにも持たずに死んでいくのよ
のぞき込めばお空は地下で渦巻いている
間抜けた青空を愛しているの
ほかに何がいるって言うの
少しの言葉とほかに
野の草にも興味を示さなくなり手足も引きこもり
たくさんの人に出会っても誰にも会っていないのよわたし
なんてセリフは聞き飽きたよね 
湯浴みして静かにおやすみなさい
もう痛まなくていい
住処はどこにもないのそんなこと分かっている
ユウウツにも飽きたら考えることをやめて
おやすみなさい 
飛び込んでしまえばいいわ 間抜けた青空さん
 
わたし達、永遠狂いだもんね
 
 
      3
 
 
誰にも迷惑をかけずにイカレルことって難しい
どれが正気なのか分からない
って真顔のあなたが語る
わたしが狂ってしまわないようにあなたはいつも気遣ってくれたね
ありがとう おかげでわたしは遠くにいかなくてすみましたあはは
まぁ適当にやっていきましょ
どうしてそんなに必死になるの
いい加減も案外 難しい?
でも
住処がない住処がないと言い続けることって大切かもね
さも何かありげに見えない永遠を見るふりをして
見続けていくことがお家だなんて
時々たまらなくなって涙が一筋
流れ落ちていく 
止まっているように見えるのよ間抜けた青空も、激しすぎると

 
 
 
初出  「詩学2002.5月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  夜はやさし   究極Q太郎
 
 
 
夜ふけ というのに
街を うろつき
どこへ なんていう あてもなく
 
そして
もう ずいぶんと 歩いた あとで
ふと われに かえったように タクシーをひろって
家に 帰る
 
夜ふけ というのに
家から とおい 街を うろつく のは
 
きっと やっかいな
もてあましものの せいで
 
やっかいな もてあましものの
せい
 
 
そんなことを きみが 話してくれたとき
気づかなかった けど ぼくにとって
なんだか ツボに はまるような ところが
そこには あったのかも しれません
 
いま ぼくは
ふと した 思いつきに
とらわれた みたい
夜の 街を わけもなく
やみくもに うろついています
きみの ように
 
そうして それから
 
ふらりと ファミレスに 立ち寄ったのです
その場の どぐされたような 空気に
一瞬 たじろぎ
結局 身構えるような 心持ちを
かためて 席に つきました
 
そこでは パンチあたま ふうの 男たちが
東南アジア産と おぼしい きれいな 娘たちを
めいめい その かたわらに はべらせて
テーブルいっぱいに 幅を きかせていたのです
 
しかし なお
 
娘たちは お国言葉で
しずかに 娘 同士 話をし
 
野卑を 絵に描いたような
風貌の男たち さえ
それ以上 ないほど
おだやかな 声で 話をしていました
だれもが 夜を 気づかう ように
 
 
だから いま ぼくは
けっして 居心地の 悪い
思いなんか せず
いや かえって くつろいだような 気分で
しだいに 白む 街のようすを
ぼんやり ただ 見つめていれば いいのです
 
夜はやさし

 
 
 
初出  「詩学2002.7月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  わたしの小石   安成 美純
 
 
 
海水の量はどうすればはかれるのだろう
そう言ったら
みんなの顔が笑って
それから互いを見比べた
専有面積とか
海抜の定義とかが
もっともらしく語られて
言葉がすこしずつ分散して
昼が夕焼けに染まって夜になるように
気がつくと
別の話題に変わっていた
 
みんなのフォークが
皿に切り分けられたチーズケーキを
崩しては 口へ運ぶ
 
またひとつ
小石が落ちてくる
わたしの中に溜まった水が
とぷん 波紋をたてる
底に堆積する
小石の持ち主とか
投げた気持ちには関係なく
体積のぶんだけ水位が上がる
中には 溶け出すものもあって
わたしの水はすっかり濁ってしまった
今では底すら見えない
 
川や雨は海の一部だろうか
水蒸気や氷山はどうだろう
量がはかれないのは
きっと 定義があいまいなせいだ
突然だれかが笑った
難しいことを考えるんだね
だれかがうなずいた
収支が釣り合っているなら
無視していいんじゃない
 
永遠に泳いでいたいと思う
皮膚を通じて
わたしは海の水とひとつになる
けれど 小石が詰まった身体では
沈んだが最後
二度と浮き上がれなくなるから
仕方なく陸にあがる
今も 海の底で
沈んだ人たちが揺られているだろうか
せめて わたしの小石を
代わりに沈めたいのに
 
ひとつも見当たらない
 
どうしたの 食べないの
たくさんの目がわたしを見ている
 
ちょっとぼんやりしてただけ
フォークに手を伸ばす
綺麗な形の
どこから切り崩せばいいか判らない
 
またひとつ
小石が落ちてくる
身体が重くなる

 
 
 
初出  「詩学2002.8月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  詩学   蟹澤奈穂
 
 
 
夜の散歩をしよう
 
常緑樹に反射する門灯
ブロック塀にあいた 波やひし形や
いろんな形の穴を
照らし出す光 もしくは
そばによどんでいるちいさな闇
 
昼間はね
人から何か説明されると
すぐに「わかりました」と言ってしまう
でもそうじゃない たいていは 
 
だから
わかるもの 一つずつ
数えて歩く
 
がっこん、という音のあと
小銭が順々に落ちてくる あれ
自動販売機だけがとびきり明るい
(だからどこにあるかすぐわかる)
新聞
缶ジュース
タバコ
乾電池
ビール
明るい家族計画
ささやかに 心を満たすものたち
 
夜の散歩をしよう
 
──油断している自転車から大きな鼻唄
 
鴨たち 鳴いている
鳴きながら どこかへ飛んで行く
 
採集するんだ たくさんの標本を
眠れない夜のために
詩学の 研究レポートを
書くために

 
 
 
初出  「詩学2002.4月号」   詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/
 
 
 


 
 
 
 
 

  手動
鉛筆削り 
  片岡直子
 
 
 
また
あの女か
「あのぉ、いつもすみません。
 ヒロヒトさんいらっしゃる?ちょっとビデオのことで、
 わからないことがありましてぇ」
はあ。
「いつも、夫がお世話になっております。
 はっ、おります。少々お待ち下さい」
 
保留にした子機を夫の布団にふわっと投げる
女は夫の上司の妻 ちょっと外国人風の顔だち
女が夫に何をしゃべるのかというと亭主の悪口
聞いてやる夫も夫なんだけれど
マイペースな妻に手を焼く気の毒な人という設定で
同病相哀れむ気分で女は電話してくる
私は黙って取りついでやる
 
ごりごり
ごりごり
今朝はあたししかいない
女は私と話すつもりで 電話をかけてきた
話題は「にんにく」 すっかり良い気になっている
ある朝私が夫ににんにくたっぷりのスパゲティだったか
何だったかを食べさせてしまい ちょうどその日が
上司と電車で一緒に移動する日で
上司が夫を随分からかったらしい
 
「夜ならば
 にんにくの匂いは一晩寝て
 息を吐いてしまえば消えますが
 朝ではねえ
 それが結構強烈だったらしくて
 うふふふふ」
 
ごりごりごりごり
手動の鉛筆削りは音が良い
高校生の頃から愛用している
「ギャルズ☆ライフ」のシールの赤い縦型
私はソファに座り 左足の裏で鉛筆削りをおさえ
左手に子機 右手に黒いハンドルを回す
(「ツイスターゲーム」の要領)
そろそろ電話を切って欲しい
ごろごろ重い音がする
(聞こえない?)
ぬめぬめ女の口はとまらない
 
「まあぁ 本当に強烈だったらしくて
 主人なんか家に帰ってからずっと言い続け
 だったんですのよ」
 
こういう時だけ亭主を味方につける
そういう女は 他にもいた 詩人にも
あんなにダンナの悪口を言っていたのに
ごりごり ごりごり 聞こえないのか
そろそろ 聞こえるだろ
一瞬黙る感じ
 
「それじゃ 本当ににんにくは強烈なので
 お気をつけ遊ばせ」
 
返事はしない
黙って切る
 
上司は理想の家庭を築いていると自負している
先日の社内報には
そう 書いてあった

 
 
 
初出  「詩学2002.4月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 



 
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