NAKANO HIROMI の
「珊瑚」
アートワーク戦記
 
もうすぐ発売の珊瑚
その表紙を担当したNAKANOさんの
これは制作戦記です


 

『 Coral をイメージする 』
 
色はサーモン・ピンク。
表記は「Coral / Sone Takayuki」
帯を付ける。
そして、ずっと触っていたくなるような本。
 
それ以外は私の自由に描いていいと、原稿をもらったのは5月21日のことだった。
 
ごちゃごちゃした日常の景色の中で、せっかくの詩を読みたくなかったので次の日、近所のスターバックスまで行き、どきどきしながら読み始めた。1回目はただただ詩を読み、2回目は情景を深くイメージしながら読み、3回目は残像のように頭の中に残った言葉たちに印をつけながら読んだ。
 
表紙としてイメージしたモチーフは、儚い花、空に舞う花、向き合う動物、動物の親子、子供(少年)。
言葉で表すなら、切ない、儚い、待つ、抱きしめる、空を仰ぐ、決意・決心、別れ、雨・雨上がり、夕方、春、梅雨、白、青、ピンク、涙、花。
それらがイメージの中心になった。メインカラーはサーモン・ピンクで決まっていたので、あとはモチーフ、花、動物、子供。色は白、淡色。詩を読むだけで迷いなくここまですんなり決まってくれた。
 
ヒロインのように登場する「華代子」さんも想像してみた。線の細い女性、折れそうで折れないけどすごく細い。絵にも描いてみたけれど、顔が出てきてくれない。少し長めのワンピースから白く細い足が出ている。でもやっぱりそのワンピースの色も、靴の色も分からない。私は彼女を描くのをやめた。「華代子」さんは読む人一人一人の想像上の理想であるべきのような気がした。だから、私が彼女を描いたりして、固定したイメージを創らない方がいい気がした。
 
そしてそのまま家に帰り、A5サイズの小さなノートを1冊潰すつもりで勢いよくラフを描いていった。
 
 
 
『 いきなり落とし穴 』
 
想像が膨らんで、やりたいことが、頭の中に「Coral」の世界が広がって鼓動が速くなる。果てしなく走り出しそうな感覚。でも体が追いつかないことに気付く。イメージが先走りして置き去りにされそう。それでもそんな事を思ってはいけないのだと、このスピードにのれると信じて今、手を動かすのだと自分に言い聞かせている自分がいる。
 
15以上描いたラフ案を厳選して10に絞った。(たいして絞れてない気もする・・)それを2,3枚同時進行で描いていく。絵の具が乾ききるのを待つ時間の節約と、色んな色を混ぜ合わせて、もしすごく好きなサーモン・ピンクが出来た時、すぐに紙の上にのせられるように。
何より押し寄せてくるスピードに体がついてくるように。
 
曽根さんがイメージしているものを何となくだけど、打ち合わせで分かることができた。でも、いざ描き始めると、どうしても自分自身が納得してくれない。もう私のこの描き方の時代は終わったのだと告げられているように。自分が気に入らないものを、曽根さんに気に入ってもらえる自信はないし、それを見破られるのは間違いない。(こわいなぁと少し尻込みしたりして)
とにかくここで自分の納得のいく、新しい描き方を見つける必要がでてきた。1ヶ月しかないのに、1ヶ月もないのに。
 
ここから昨日までの、ラテを飲みながら映画のようにスマートにモノ作りをするなどという憧れはもろくも崩れ去り、いつものように不毛で小汚い日常が始まった。色んな画材が机の上にごちゃまぜになり、資料も山のように積まれていく。しかもそんな時に限って、好きな作家の展覧会が重なり、喜んで行くも案の定、帰りは自己嫌悪に陥り、自分なんてまだまだだと下へ下へと堕ちていく。
 
曇り時々大雨みたいな、どんよりした日々の中、パッと太陽が照らしてくれる日もあって、なんとか人様にみせられるものを6枚仕上げることができた。動物を描いたもの3枚、花をモチーフにしたもの2枚、子供の絵1枚。
結果から言うと、曽根さんが表紙に選んでくれたのは「蓮の花」だった。予想外だった。言えばこの子は(つい自分の作品を「子」と呼んでしまう)将来きっと大きくなるだろう原石じゃないかな? みたいなもので、しかし今はその片鱗を全く見せない、ちょっとややこしい子だった。本当は家に置いて来るつもりだった。そんな「蓮の花」が選ばれるなんて、人生何が起こるかわからない。
 
 
 
『 少年現れる 』
 
 
ラフの時現れていた、この5,6歳の少年が本当は最初から気に入っていたのかもしれない。頭のなかに登場した時にはすでに、服も色も立ち方も表情も、すべて決まっていた。
「Coral」の文字入りTシャツに、チェックのハーフパンツをはいて、何かを見上げている。顔は笑っていないけれど、楽しくないわけじゃない。笑わせようとすると、とても引きつった笑い方をする。でも決して怒っているわけではない。
 
しかもこの少年だけは、ラフ通り、イメージ通り、色も形も全体のデザインも想像通りに仕上がった。こんなことはめったにない。1年に1回? あればいいくらいだ。自分のイメージしたものを超えて仕上がるか、イメージしたものと似ても似つかないものに仕上がるかのどちらか。たいてい後者。で、いつも思い悩む。
 
だからこそこの少年はスゴイ。なんだか、どーんとしていて、子供のくせに風格があるし、「オレ以上にお前が気に入るのは描けないって。もういいやんか。」と言ってくる。そう言われても、せっかく他のラフもあるし、形にしたい。この子と勝負させたい。諦めきれず、毎日紙と向き合う。絵を提出する前日までしつこくしつこく…。
 
難産ではあったけれど、他にもまぁまぁ気に入ったモノは描けた。それにも関わらず、曽根さんに見せる時、他のどれでもない少年が1番上にやってきた。無意識でも1番上にしたのは自分なのに、「しまった!」となぜか思ってしまった。この少年が曽根さんにアピールしそうで、それを手助けしたようで。
他の子たちは、自分たちが苦悩の中生まれて来たことを分かっているかのようにとてもおとなしかった。少し切なくなった。
 
その日も曽根さんと色んな話をした。いつも普段より自分のことしゃべってしまう。そんな自分がしゃべりすぎているようで、つい帰りの電車の中で反省してしまう。その反面すっきりさせてもらえる。私の言うことを理解してくれて、モノを作る中で感じる様々な事を話せて、会話になる人というのは、私にとってとても有り難い貴重な存在だと思う。
 
この1ヶ月、この少年が話しかけて来るなんて事を家族や友人に話しても、馬鹿にされ、私は頭のおかしい人になっていただろうと思う。
それでも曽根さんは私の言う馬鹿馬鹿しいことにギャハギャハと声を上げて笑ってくれた。私も人を見て会話するんだなぁと思った。そんなこんなで少年も特別推薦枠みたいな感じで合格したのだった。
 
結局悩んだからって、時間かけたからって、いいモノが生まれるわけじゃない事をまた実感した。頭では分かっていても心がまだ理解できていないから、いつも引き際を見失う。理解していたら毎回ここまで悩まなくてもいいのかもしれない。少年に教えられた。でもきっと私は、まだまだ思い悩みながら描いていく気がする。
 
 
 
『 決戦の日 』
 
その日まで机には毎日向かった。向かわなかった日は記憶する限りなかったと思う。毎日描けるわけじゃないけれど、描けない日々が続くと焦ってしまう。気に入ったのが描けた!とこの瞬間のために描いているような人生の絶頂を味わったとしても、次の瞬間、90度に急降下するような例えようのない反省が襲って来る。でもたまに、その一瞬の夢が覚めない作品もある。数日か、数ヶ月か、それが後どれくらい続くかは分からないけれど。

決戦の日は6月19日だった。その日、朝ご飯を食べ終わると、どうも気持ちが悪い。立ちくらみ? 貧血? 大丈夫か私? 前日の夜、よしっもうこれで行こう!と決心したつもりだった。やれる事はやった。きっと100パーセント以上の力は振り絞って出せたと思う。(たぶん)
これ以上は今の自分には描けないと、自分自身でも知っていたはずなのに、本心はまだダメだと自分を責めていた。出来ない自分を責めるなんて、そりゃ精神がもたないはずだ。嫌な性格だなぁと思いつつ、出かける用意をする。心と体は繋がっているのだと、今まで何度となく聞かされ実感し、また改めて実感する。今回ばかりは間違いなく精神的重圧が体をおかしくしている気がする。
 
丁寧に絵を見てくれる曽根さんに、何でもいいから早く言葉を下さいとテレパシーを送る。当たり前ながらなかなか通じない。曽根さんにどれがいいかと尋ねられているカフェのスタッフさんたちに、自信のない私は、いいと思うものがなくて困らせていたらゴメンナサイと心の中で必死に謝っていた。気分が悪いような気がする…という感覚に、ヤバイぞヤバイぞと頭を回る。何がやばいのだ? 倒れる気か? それはかなりの迷惑になる。持ちこたえるんだ! どれも気に入らないなら早く言って下さい。今すぐ帰って描き直すんで…!
 
そんなこと思っていたら、ますます具合が悪くなる。正しく心と体はつながっている。そう心の中で大騒ぎしているものの、他の全部はだめでもこの子だけは気に入ってくれるはずだと思っていたモノがあった。最初から最後までその子が私の支えだった。

心労は徒労に終わってくれた。
曽根さんは表紙に「蓮の花」と、本のカバーとして(※カバーじゃなくて帯です・笑 曽根注)、密かに私が支えにしていたモノと、2枚も選んでくれた。今思っても、何も語らない絵に、偶然だとして描いた人間の思い入れを感じた事はスゴイと思った。心とか気持ちとか言霊とか、そういう形はない、目には見えないものの力を感じてしまった。
 
 
 
『 蓮の花 』
 

 
基本的に花は苦手だった。そのままで手の入れようのないくらい綺麗だから。今まで何度か挑戦したけど、自分の記憶に残るような花を仕上げることは出来なかった。
 
「蓮」この漢字が好きで、この花だけは描きたいとずっと思っていたが、ようやく描き始めたのは一年前の夏だった。形や透き通るような色も好きだった。私の父は写真を撮る人で、父が撮った蓮の作品を見ていたからかもしれない。写真の腕が良かったからか? そんなことは本人には言わないけれど、絵を描くから写真が欲しいと頼むと、
「蓮なんて仏さんの花やんか、縁起が悪い、誰も喜んでくれない」などと散々言ってきた。
その割に、数日でL版から四ツ切りサイズのどでかいものが、はりきって送られて来た。どっちなんだ。自分だって蓮の写真を撮ってるくせに。(この話をした時、曽根さんも同じことを言ってくれた)
 
それからまず、20号のキャンバスに描き始めた。イメージははっきりしているのに、思い通りに描けない。何度も色を重ねては消して、数ヶ月経っても予想以上に全く仕上がらない。完成度が上がらない。なんで? なんで? と疲れ果てて、私が描くにはまだ早かったんだと思い、蓮と向き合うのをやめた時、突然祖母が亡くなった。その日からますます蓮の花との距離が遠くなっていった。蓮だけじゃなく、「描くこと」から離れていった。
 
自分が幸せじゃないと絵が描けない。そんな絵描きにはなりたくなかった。日常の生活と絵を描くことは別の世界においておきたかった。でも私にはそれができない。自分が満たされていないと絵が描けない。なんとかしたいけれど、どうにもならないこの精神の弱さ・・・
 
そして半年が過ぎ、「Coral」の表紙の仕事をもらった時、もう一度蓮の花を描いてみようと思った。何度も何度も描き直しながら、ようやく形に出来た時、自信なんかないのに、なぜか見てもらいたい気がした。
 
そして選ばれた「蓮の花」正直今でも自信はない。だから本になるまでかなり不安で仕方ない。
なので、最終決定したのは曽根さんだから・・・と思うことにした。(すみません)
描き終わった作品の心配をしても仕方ない。またそのうち納得のいく「蓮の花」が描けるだろうと思うしかない。死ぬまでに1枚描ければいい。選んでもらってそう思えるようになった。


words & illustration NAKANO HIROMI