シネマ「イッ!イッ!」
   映画好きのコラードスタッフが勝手になんでもシネマトーク







VOL3.
「ヴァージンスーサイズ」

THE VIRGIN SUICIDES

1999年 アメリカ映画
監督 ソフア・コッポラ
出演 ジェームズ・ウッズ
   キャサリン・ターナー

1970年代のある夏の日、ミシガン州に住んでいるの美しい年子5人姉妹が自殺した。彼女達は美しいブロンドの髪とふくよかな唇を持つ良く似た姉妹だった。始まりは末娘13歳のセシリアの自殺未遂だった。「まだ人生の辛さを知らないのに」という医者に「でも先生は13才の女の子の気持ちなんてわからないでしょう」という謎めいた言葉を残して彼女は本当に自殺してしまう。この事件をきっかけに近隣に住む少年達の彼女達をめぐるとまどいや苦悩、そして10代の謎めく感受性をビビッドに描いた異色の青春映画。監督は巨匠フランシス・コッポラの愛娘ソフィア・コッポラ。





nao
今回は私も最初にバージン3(スリー)サイズと頭に
インプットされちゃったから
みんなレンタル屋さんでアダルト関係の方へ探しに
行かないかと、心配しました。な〜んて。
そんな冗談も最後には泣く子も黙るような映画の展開ですが..。
スーサイズって「自殺」という意味らしいです。
ずばり、何が原因でしょう?

JONA
そうそう、まずどうしても原因は?
というところを考えてしまうんだけれど・・・
なんなんだろう。そもそも
理由って本当にあるのかな?
と私は考えてます。
遠因はあると思う。幾つも。それは幾つも。
母親とか。恋とか。
でも「特にない」という理由もありそうだな、と。
今日(5/16)も二人の少女の自殺がありましたね。
「死ぬ理由はないけど生きてる理由もない」って書きおき残して。
(野猿が解散したから、という説も出てたけど。)
原因。他の人の意見も聞いてみたいです。
わー。いきなり重くしてごめん。(汗)
でも映画のトーンは暗くないんだよね。
音楽もいいし。
少年達の役割も気になるところだなあ。

nao
そうそう、映画のトーンは暗くない。
死んだ・・っていう場面は最初の13才の子が死ぬ
場面以外は結構青春をエンジョイしているんだよね、みんな。
そりゃあ、まあ、朝帰り..で親を大激怒させて家から
出してもらえなくなる経緯があって、
もしかしてそのフラストレーションで一気に自殺かな〜?
とも思うけれど、ああいうのは誰しも一度は通るような
道だと思うんだよね。。

satosi
特にはじめの子(セシリア)の自殺の原因が描かれてませんね。
それで両親が精神的に不安定になって、
外出禁止令がでて、そして後の子たちが自殺…というのは
想像すれば予想がつきますが。
でもそんな簡単なことじゃないのかも。
普通、外出禁止だけでそこまでいきませんものね…。

nao
13才の末娘の子が死ぬ理由は..なんだか物事を
とても冷たい目で見ているような..感じだよね。
彼女の日記から見ると。。
確かに思春期ってそういうのってあるよね。
お父さんがすごく不潔に感じてくる..とかさ。
そういった類いの潔癖症な感じかもね。
多分一時的なものなんだろうけれど。
13才の子にはそれが許せない。

satosi
物語の背景ってすごく現代ですよね?
テレビとか描写とか見てると。
ただ、リスボン家のパーティとかはシックリ来ませんでしたけど…。
アメリカってフツーに家族単位でああいった合コンするんでしょうかね?
背景はいつごろでしたっけ。

satosi
そこでヴァージンスーサイズですが、
実は原作は小説があって、監督のソフィア・コッポラは、
「ソニック・ユース」という僕の大好きなバンドのボーカルの
サーストン・ムーアから原作を渡され、それを気に入って映画製作をしたということなんです。
でもってサウンドトラックは「エール」というフランスのテクノバンドで、このバンドはマイナーながらもいいバンドで、前回作は「ムーン・サファリ」で、これまたいいアルバム。1曲目から解説すると、「La Femma D'argent」...

JONA
ふっふっふ。
音楽の話向けると、絶対さとし君乗ってくると思ってた。
ただのBGMっていうだけじゃなくて結構大きい役目
はたしている気がする。外出禁止令の間、
電話線の向こうに彼女たちが唯一救いを求めたのは
音楽、だったんじゃないかなあ。かけている少年達でなく。

いつき
この映画の場合、音楽の比重が他の映画に比べて
重いですよね。やっぱり、あの外出禁止令が出ていた時の
電話でお互い音楽のやり取りをしてましたよね。
曲だけから考えると、70年代とか80年代のレコード
を使ってたので、時代背景は70年代〜80年代という
事になるのでしょうけど。。。
少年達が聞かせた音楽は、古い時代のものであり、
彼女達が求めた外の世界への欲求は、きっと少年達が
聞かせてくれる古い音楽では、納得いかなかった、
救われなかったのかなと思います。
少年達にしてみれば、とても可哀想な話なんですけどね(^^;)

satosi
あの場面、見てて辛かったですよね〜。
レコードを燃やすところ。
お母さんが違って見えた…。

いつき
多分、JONAさんの言われるように、少年達へでは
なく、音楽へ救いを求めてたのかなと思います。
それは、大好きなロックのレコードを母親に捨てられる
時の、尋常ではない嫌がり方にも現れてるのかなと
思ったりもしますが。まだ、何かぼんやりとした
疑問?みたいなものが心に残ってるんですよね〜。

satosi
話が前後しますけど、
少女たち、結構無表情ですよね。
なんか、何考えてるかわからないというか。
そこは現代の子供たちの描写っていうのはわかるんですが、
子供たちの内面がかかれた場面ってほとんどないですよね。
だから、この映画の中だけではまだ問題は解けてないんじゃないかと…。

nao
この映画は思春期の女の子達がいかに
ミステリアスで感受性が強いか..ていうのを
観客に見せようとした映画かな〜と思う。
辛口批評だけれど、観客にそれがわかってしまうような
所があるよね。
自殺の本当の原因は、彼女達にしかわからないんだよ、って
言わせようという感じがあるんだよね。
そういう意味ではいかにも女性監督がつくった映画だなあ
って思った。
あとこの5人姉妹ではラックスっていう子意外は皆影が薄いん
だよね。強いていえば最初に自殺した13才の子がまあまあ
目立つかな..という感じで。。
それが、今度は五人いっぺんに自殺した効果を
薄れさせているような感じもする。・・・というか
何故自殺したのかわからなくしているよね。

いつき
ラックス以外の女の子にも、もうちょっと特色を
持たせたら、最後の4人が一緒に自殺したという
効果がもっと出てきて、インパクトが出たんじゃ
ないかなと思います。
ただ、この映画の場合、逆にインパクトを出さず、
淡々と終らせようとする狙いが監督にはあったのかな
という気もします。自殺の原因は彼女達にしか
わからない、もしくは、自分でいろいろ考えてね、みたいな。
そこらへんがとても女性らしいかなと思います。
男性監督の場合、ハッピーエンドなのか、アンハッピー
なのか、もしくは、映画の最後には必ず決着か、結論を
出して終わりにする人多いですよね。
きちっと解決という感じで。

nao
うん、なんかね、思わせぶりっぽい感じが映画全体に
漂っているでしょう。その辺が女性監督の感性だなあ、って思う
のよ。はっきりさせないところがね。
淡々としてて、謎めいていて、そう言う意味では
映画の雰囲気としては成功してるよね。

JONA
男性監督だと、いつきちゃんのいうような映画もありそう。
それはそれで、見てみたい気もしますねえ。
確かに、男性監督と女性監督とで
作り方違ってくるのかもしれませんね。
感性の違いというか。
「でも先生は13の少女になったことないでしょ。」
これは末の娘セシリアが、最初の自殺未遂後医者にいった言葉だけど、
ここにもちょっと片鱗があるかなあ、と。
私は、この言葉がずーーーーーっと
映画の最後まで(姉妹が死ぬまで)、どこかに
潜んでいる気がしたんですよね。
その象徴が少女の幽霊だった、と。
一番、うぐ、ときたのは私はあの娘が死んだ時だったし
あの<うぐ>がなかったら、もっとさらりと観流していたかも。
この映画、確かに最後まで謎めいていて、
「なんなのー、はっきりし!」みたいにいらつく人もいる反面、
すべてぼかした映像の裏側に自分なりの答えを見出す人
(或いは、探さずにはいられない人)もいるんじゃないかなあ。
監督自身は多分、こういう少女たちの感覚
知っている人なんだと思う。
割り算して余りの出ちゃう感性。(なんじゃそりゃ^^;)
もちろん映画として充分表せているかは別だけれど。
同じ謎めかした終わり方としても
もう少しインパクトあった方が良かったんじゃないかなあ、
という気もするし。
でも私は好きだった、この映画。









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